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8 テーラガーター
14 十四なるものの集まり
第一の章
14.1. カディラヴァニヤ・レーヴァタ長老の詩偈
家から家なきへと出家した者として、わたしがあるとき、汚点(怒りや憎しみなどの悪意)を伴った聖ならざる思惟を、〔わたしは、自らのうちに〕識知しない。
「これらの生あるものたちは、殺害されてしまえ、屠殺されてしまえ、苦しみを得よ」〔という〕思惟を、この長らくの間、〔わたしは、自らのうちに〕識知しない。
しかして、善く修められた無量なる慈愛〔の心〕を、〔わたしは、自らのうちに〕証知する。覚者(ブッダ)によって説示されたとおり、順次に蓄積された〔慈愛の心〕を。
全ての者の朋友として、全ての者の友として、一切の生類にたいし慈しみ〔の思い〕ある者として、しかして、常に、加害〔の思い〕なきを喜ぶ者として、〔わたしは〕慈愛の心を修める。
不動で動揺なき心を、わたしは喜ぶ。俗人の慣れ親しむところにあらざる、梵住〔の境地〕(慈悲喜捨の四無量心)を、〔わたしは〕修める。
思考なき〔境地〕に入定した、正自覚者(ブッダ)の弟子は、まさしく、ただちに、聖なる沈黙の状態を具した者と成る。
また、山の巌が、動揺せず、しっかりと確立しているように、このように、迷妄の滅尽あることから、比丘は、山のように、〔何ものにも〕動じない。
常に清らかさを求めている、穢れなき人には、毛先ばかりの悪でも、まさしく、雲ほどに見えてしまう。
辺境にある、内外共に守られた城市のように、このように、自己を守るがよい。まさに、〔いかなる〕時節であろうが、〔無駄に〕過ぎ行くことがあってはならない(瞬時でさえも、虚しく過ごしてはならない)。
〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。しかして、雇われ者が報酬を〔待つ〕ように、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ。
〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。しかして、正知と気づきの者として、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ。
わたしによって、教師(ブッダ)は奉仕され、覚者(ブッダ)の教えは為された。重き荷は安置され、〔迷いの〕生存に導くもの(煩悩)は完破された。
しかして、〔まさに〕その義(目的)のために、家から家なきへと出家したところの、一切の束縛するものの滅尽という、その義(目的)は、わたしによって獲得された。
〔気づきを〕怠らないこと(不放逸)で、〔道を〕成就するように。これが、わたしの教示である。さあ、わたしは、完全なる涅槃に到達するであろう。〔わたしは〕一切所で、解脱者として存している。ということで――
……カディラヴァニヤ・レーヴァタ長老は……。