小部経典
3:ウダーナ
6.3. 注視の経(53)
このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティに住しておられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の園地(祇園精舎)において。さて、まさに、その時、世尊は、自己の、〔過去に〕捨棄された無数の悪しき善ならざる諸法(性質)を、さらには、修行を円満成就するに至った無数の善なる諸法(性質)を、注視しながら、坐しておられたのです。
そこで、まさに、世尊は、自己の、〔過去に〕捨棄された無数の悪しき善ならざる諸法(性質)を、さらには、修行を円満成就するに至った無数の善なる諸法(性質)を、〔あるがままに〕知って、その時に、この感興〔の言葉〕を唱えました。
「かつては有ったが、そのときは有りえなかった。かつては有りえなかったが、そのときは有った。有ったこともなく、有るであろうこともなく、今現在も見い出されない」と。
〔以上が〕第三〔の経〕となる。