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8 テーラガーター
10.3. マハー・カッピナ長老の詩偈
彼が、未来の、益ある義(目的)と、益なき〔義〕と、その二つを、前もって見るなら、彼に憎しみある者たちは、あるいは、〔彼の〕益を求める者たちも、〔彼を〕正視しつつ、〔彼の〕欠点を見ない。
彼の、呼吸の気づき(持息念・安般念:入息と出息についての気づきの実践)が円満成就し、善く修められ、覚者(ブッダ)によって説示されたとおり、順次に蓄積されたなら、彼は、雲から解き放たれた月のように、この世を照らす。
まさに、わたしの心は、白く〔純粋で〕、無量なるものとなり、善く修められた。〔あるがままに〕洞察され、かつまた、〔しっかりと〕励起された〔わたしの心〕は、一切の方角に光り輝く。
知慧を有する者は、たとえ、富の完全なる滅尽あるもまた、まさしく、生きて行く。しかして、知慧の利得なきなら、富める者もまた、生きて行けない。
知慧は、聞かれたもの〔の正邪〕を判別するものである。知慧は、栄誉と名声を増大するものである。知慧を伴った人は、この〔世において〕、たとえ、諸々の苦しみのなかにあっても、諸々の安楽を見い出す。
この法(真理)は、今日〔限り〕のものにあらず、稀有なるものにあらず、また、未曾有のものにあらず。そこに、〔人が〕生まれるなら、〔いずれ〕死ぬことになる。そこに、どのような未曾有のようなものがあるというのだろう。
まさに、生まれた者には、生まれてからのち、常に、無間“むけん”の死がある。生まれた者たち、生まれた者たちは、この〔世において〕、〔いずれ〕死ぬ。まさに、このように、生ある者たちの法(真理)はある。
それが、〔残された〕他の人たちにとって、生の義(利益)として〔有る〕なら、まさに、これは、死んだ者の義(利益)のために有るのではない。死んだ者について泣き悲しんだとて、福徳にあらず、世理にあらず、沙門や婆羅門たちの褒め称えるところにあらず。
それにより、眼と肉体を壊し去る。色艶と力は衰退し、かつまた、思慧も〔衰退する〕。彼の敵たちは、喜びある者たちと成り、彼の益を求める者たちは、楽しみある者たちと成らない。
それゆえに、まさに、〔善き〕家に住んでいる、まさしく、しかして、思慮ある者たちを、さらには、多聞の者たちを、求めるがよい。まさに、彼らの、〔迷いの〕生存から離れる知慧によって、〔水の〕満ちた川を舟で超え渡るように、為すべきことを〔為すがよい〕。ということで――
……マハー・カッピナ長老は……。